第8回
ボルネオ島の「森の掟」
★サラワク先住民族イバン族の森の掟と、受け継がれる知恵
その小高い山は、きっと私の遠い記憶の中に存在したのかもしれない。いや、何度もその傍を通りながら、知らず知らずのうちに、私の心にその姿を刻んでいったのかもしれない。その山は、ポツンと残された深い熱帯雨林に覆われ、その山の稜線は国境で、その向こう側はインドネシアになる。ある縁があって、その森の近くの村に頻繁に行く様になり、ある日、私は、そこに住む先住民族イバン族の村人と共に、野生のドリアンを採りに行く為に、森に入る事になった。私の心に深く刻まれたその森に入る事に期待を膨らませながら着いて行った。
先ずは、彼らの陸稲の焼畑や農園の傍を通りながら、生きて行く為に必要な野菜や果樹等を横目に進んでいった。彼らにとって最も重要な主食であるお米、お米が出来るまでの非常食用としての粟やトウモロコシ、野菜は、インゲン豆やナスや唐辛子、オクラ、キュウリ、ニガウリ、カボチャ、果樹は、パパイヤ、ドリアン、ランブータン、マンゴ、マンゴスチン、換金作物のコショウやカカオ等が所狭しと植えられていた。これだけ種類があれば、食べるのに困らないだろう。
さらに進むと、大きな木々が林立するあたりにぶつかり、いざ、森へ入ろうとする時に、長老の一人が、私の行く手を塞ぎ、私に教えてくれた。イバン族の居住空間には、生活空間であるロングハウスを中心に、そのまわりに作物用の開墾の場所、そして、その周りに手付かずの森、最後に山の稜線の部分は精霊の休む場所、という、周縁状の境界を明確にしている。これから、手付かずの森(イバン語で「カンポン」という。マレー語では、「カンポン」というと村に当るが、イバン族の「カンポン」は深い森の事を指す)へ入っていくのだが、お前は始めてこの森に入る。その森に始めて入る時には、お清めとして、その土を少し指につけ、額につけるのが慣わしだから、お前もそうしろ、と言われ従った。その長老は、一言「ウム」と言って、先に進んでいった。それまでに居た開墾地に比べて、一気に、温度が下がった様な気がした。それは、その森の木々の樹冠がみつに覆われている為、ほとんど光が差し込まないのが、その理由の一つだろう。そして、光があまり差し込まないせいか、下草やヤシ、シダ、低い木があまりないので、非常に歩きやすく感じた。古い原生林は、歩きやすいという事を聞いたことがあるが、きっとこの事だと思い出した。苔や着生植物の一杯ついた大木が点在し、時には、大きな板根が行く手を塞ぎ、ツル植物が幾何学的な模様で下がっていたりと、熱帯雨林の緑一色の風景が私を魅了した。よくあるジャングルのイメージでは、様々な色の花々が咲き乱れ、サルがそこら中にいて、極彩色の野鳥が、そこら中にいる、そんなのは、幻想だし、人間がつくりあげたものだ、きっと・・・。本当の熱帯雨林は、緑一色だ。でも、その緑の濃淡の微妙な配分が、見るものを飽きさせないし、又、その緑一色の中に、小さな可憐な花を見つけた時、その喜びは、いっそう大きいものになる筈である。
この日は、野生のドリアンを採取に行く筈なのだが、一行の中の二人が肩にライフルを掛けているのに気付いた。確か、その人は、最初犬を数匹連れて来てた様な気がするのだが、その犬の姿は今は見えない。そういえば、イバン族の人は、時として、本当の行き先を告げないという事を聞いた事がある。特に、狩りに行くのに、狩りに行くと伝えるのは、愚か者の行為で、狩りに行く時は、「野菜を採りに行く」とか婉曲的な表現をしなければならないのだ。その理由は、行き先や目的を口外すると、森の精霊が聞いている可能性があり、その精霊がいたずらをするかもしれないと、イバン族の人々は信じているのだ。
それ以外にも、重要な主食である陸稲を作るための焼畑の重要な初期過程として、先ずは必要最低限の二次林を切り開いて、伐った木々を放置して、ある程度自然に乾燥させた段階で、火を入れるのだが、そのタイミングが非常に難しく、明日は火を入れる予定にしていたのにも関わらず、突然、大雨が降り、木々が湿ってしまい、さらに数日待たなければならなくなる事もある。火入れの日は、例えどんな事があっても、誰にも、独り言でも、口外する事が出来ないのだ。森の精霊の悪戯を阻止する為にも・・。
と、もの思いに耽りながら歩いていると、突然、ライフルを持った二人が走り出した。犬のけたたましく吼える声が、前方左手に微かに聞こえ、遠ざかっていく。彼らも、その方角に向かった様だ。「向かった様だ」というのは、私が気づいた時には、その二人の姿は見えなくなっていたからだ。そこに残った村人達は、黙って座って待っていた。私は沈黙に耐え切れず、つい口を滑らせて、「獲物は、イノシシかな、シカかな」と尋ねてしまった。私の隣に座っていた村人が、一瞬、私の目を見つめて、首を横に振った。私は、最初意味がつかめなく、その意味を尋ねようとしたが、彼は、何かを察知して、彼の手で、私の口を塞いだ。あっ、そうだ。これもタブーだ。森の精霊に聞かれてしまう。そう気付いた私は、彼の手をそっと掴んで、私の口から離し、言葉にせず身振りで謝った。突然、我々の背後で熱帯特有のけたたましい鳥の鳴声が木霊した。それに追従するかの様に、蝉の大合唱が始まった。
しばらく、蝉の鳴声に浸っている内に、遠くで、「ヒュー」とか、「フィー」とか、と呼んでいる声が聞こえてきた。こちらの待機組も、同じ様にして、呼応している。どうしたんだ、と、私の口を塞いだ彼に尋ねると、ゆっくりとした口調で教えてくれた。イバン族の森の掟では、絶対に、森の中では、見えない人の名前を呼んではいけないし、逆に、森の中で、見えない人が自分の名前を呼んでも、絶対に返事をしてはいけない。何故かと言うと、その声は、人間の声ではないかもしれないからだ。分かりやすく言うと、森の精霊が呼んでいる可能性があるということ。もし、その声に反応すると、その森の精霊に憑かれ、病気にかかってしまうそうだ。だから、森の中でお互いが見えない時は、名前を呼び合わず、「ヒュー」や「フィー」等と叫んで、お互いの位置を確認しあい、距離を狭めるのだ。それに、森の中では、すぐ後ろにいる誰かから名前を呼ばれた時、頭だけ振り返って返事してはいけない。頭の頂点と右肩、左肩の三角形が崩れると、精霊に突付かれるので、出来るだけ、その三角形を崩さない様にしなければならない。「なるほど」と思っていると、獲物を追いかけた二人が戻って来て、首を横に振った。私の隣のその村人は、私の目をチラッと見たあと、立ち上がって、他の村人と共に、先に進んでいった。
数歩進むと、宿主を絞め殺して、内側が空洞になった絞め殺しイチジク( Ficus sp )があった。すぐ傍にあったのにも関わらず気が付かなかったのは、私の座っていた所からは、見えない位置にあったからだ。巨大な絞め殺しイチジクで、これだけ大きくなると、精霊の宿るという表現がぴったりの樹木だ。絞め殺しイチジクは、その実を食べた鳥等が、その宿主となる樹冠の幹に、種子を糞と共に落とし、そこで発芽すると、地面へ向かって根を降ろしていく。一旦その根が地面に到着すると、次は、その宿主を覆うように根が伸び、その宿主を絞め殺していく。といっても、その沢山の根で絞め殺しているという訳でもないらしく、地面の方で、沢山の根が根差すことで、養分を宿主より沢山吸収し、樹冠では、宿主より高く緑の葉を繁らせ、宿主の樹冠を覆い尽くし、最終的には、その宿主が十分な養分を得る事が出来ず、結果朽ち果てて、絞め殺しイチジクだけ残り、その宿主があった部分だけ空洞になる。熱帯雨林の刹那、1本の木を殺してしまうという意味では、残酷な木でもあるが、一方で、そのイチジクの多岐に渡る根がその周りにある他の低い樹木に這う事もあるので、その樹木が生長し高くなると、林冠部の小動物の空中回廊が出来る事もある。これは、生態系では、動けない植物の種子を小動物がより広い地域に拡散する為の種子分散という意味では、非常に意義がある事だ。又、イチジクは、沢山の種類があり、それぞれ、果実のなる時期が異なるので、1年中、いずれかの種類が実をならす。動物にとっても、特に果物のシーズンで無い時期には、重要な食料源になるのだ。
イバン族にとっては、とりわけ、狩りをする時に重要で、特に、イチジクの実がたわわになっている時は、様々な動物が集まるので、狩りの獲物が集まる場所として、逆に、絞め殺しイチジクのすぐ傍の木が果実をたくさんならしている時は、この絞め殺しイチジクは、空洞が沢山あるので非常に登りやすいので、上の方に登って、隠れて獲物を待つ事が出来る。一方で、自分たちにとって重要な木に、例えば、ドリアンの木等に、この絞め殺しイチジクが憑くと、いの一番に伐って落とす事で、重要な果実の木が殺されない様な手立ても行う。この絞め殺しイチジクは、イバン族の人々にとっても、良い面がある一方、悪い側面もあるのである。その巨大な絞め殺しイチジクを横目に思いを巡らしていると、人間には性善説と性悪説とあるが、時として、人間は天使の様なやさしさを持つ反面、時として、悪魔の様な残虐な一面を持つ事を考えると、きっと、人間もそういう両側面を兼ね備えている自然の産物だろうと、ふとそんな考えが沸いてきた。因みに、イバン族の諺で、「ピンジャオ・カラ」という言葉がある。「ピンジャオ」が「借りる」と言う意味、カラは、絞め殺しイチジクの現地名の「アラ」からきた言葉。転じて、借りたものを返さない輩の事を、「ピンジャオ・カラ」と言う。
突然、前にいる青年が立止まったので、私は、一瞬、転びそうになった。何かいる様だ。彼が、「蛇がいるよ」と教えてくれたが、どこにいるか分からない。その青年は、長い事探している私を、興味深げに見ながら、「あそこだよ、あそこ」と指差してくれるけど、皆目分からない。私が見つけられないのに我慢できないようで、近くにあった落ち木を拾って、その蛇に向けてくれた。やっと、私の目で場所が確認できたが、その蛇は、綺麗な緑色のヨロイハブという種類で、丁度、1m位の高さの幼樹の枝先にいて、その葉と似たような色の為に、識別が困難だった。その青年が、「俺が気付かなかったら、お前は蛇に咬まれていたよ」と笑った。最初は、ただ私をからかっているだけなのかと思って、私がムスッとした顔をしたら、彼が真顔になって、「イバン族の言い伝えではね。3番目に歩くのが一番危ないんだ。今、僕らは後ろの方だけど、前の方の人は、ここを通っていないんだ。ほら、この先には足跡がないでしょう。何故かって、きっと遠くから蛇が見えたから、少し遠回りしたんだ。それで、少し間があいて、ここを通ったのは、僕達だけだけど、お前は、ちょうど3番目なんだ。前にいる長老は、よく見えるんだ。新聞は読めないけど、こういうのは良く見えるんだ。後、その長老の傍にいる、背の高い痩せた青年は、お前の様に蛇を見つける事が下手で、よく咬まれるんだ。怖いから絶対3番目には歩かないんだ。今は、前から4番目に歩いているし・・」と言って笑った。
そのヨロイハブのいる幼樹を避けて進みながら、彼は話を続けた。「もし、おまえが一人だけで森にいて、毒蛇に咬まれたら、何を一番最初にしなければならないと思う?」私は、少し考えて、「咬まれた所を吸って毒をとる」と答えた。彼は、「そうじゃなく、もっと先にやってなければいけない事だよ」と言った。私は、矢継ぎ早に「何かで縛る?」と。彼は、厭きれた顔つきで、私を見ながら話し出した。「一番最初にやる事、それは、おまえがまだ動ける時にやらなければいけない事という意味。何かって、すぐ、その咬んだ毒蛇を殺す事。そうすれば、おまえが気を失っても、毒蛇の死骸を自分の傍に置いてれば、見つけた人がすぐにどの薬草を使わなければならないか分かるだろう。そんなに時間がたってなければ、まだ息があれば、何とかなるんだ。でも、もし、毒蛇を殺さず逃がしてしまったら、例え、咬まれた所を吸取っても、何かで縛っても、誰か人がいる場所に辿り着かなかったり、気を失ったお前を誰かが発見したとしても、どの毒蛇の薬草を使わなければいけないか解らないんだ。それだと、手遅れだ。それに、歩けば歩くほど、毒がまわるからね。動き回るのは駄目だよ。パニックになるのも同じ。
あの痩せた青年は、5年前、森に一人でいる時、さっきのヨロイハブに咬まれたんだ。結構、森の奥まで入っていたんだ。歩いて帰るのは無理だと悟って、彼も何かをする事を諦めて、とにかく、その蛇を殺すだけはしたんだ。そして、その毒蛇の死骸を体のすぐ傍に置いて、あとは、一切動かず、もっていた水を飲み、運良く、川の傍だったので、その川の水を出来るだけ飲んで、耐えたんだ。毒蛇などに咬まれた時、水を出来るだけたくさん飲めば、毒が薄まるんだって。あの長老は、若い頃一回だけ毒蛇に咬まれた事があるんだけど、水をたくさん飲んだら、何ともないと言っていたよ。長老の足首には、今もその傷跡が見れるけど・・・。
それで、あの青年も1日目は意識があったみたいだけど、少しづつ朦朧としだし、真夜中にウトウトとしたら、その後は覚えていないみたいだった。村人の人は、彼がすぐ帰ってくると言っていたのに、その日に帰って来ないので、心配して、次の日の朝、皆で探しに行ったら、気を失って、口から少し泡が出てたそうだ。その時も長老が、ちゃんと数種類の毒蛇の解毒用の薬草を持っていて、その毒蛇用の薬草を飲ませて、村へ運んだのだ。少し心配だったので、街の病院にも連れて行ったんだ。今は大丈夫だけど、少し呂律がおかしいんだ。大体、毒蛇に咬まれると、細かい神経が機能しなくなるらしい。発音がおかしくなる。彼の話し方は少し変だろう」。私は、「どうやって、殺すんだ」と尋ねたら、彼が失笑して、「お前のその腰にあるパラン(蛮刀)は、踊りの為か?何の為にある?」と答えた。その私の腰元に不恰好にぶら下っているパランの事をうっかり忘れていた。
彼は笑いながら、木々の間に複雑に絡まっている木本性のツル植物を、切り取って、1本の杖の様にして、私に渡した。それを垂直に持っていると、最初は少しづつ、徐々に勢い良く、水が流れ出した。あ、これが、水の飲める木だと思って、口をその水の方にもっていこうとすると、彼が慌てて止めた。私はびっくりして、「この水は飲めるんじゃないか?」と尋ねると、彼曰く、この種類は猛毒だそうだ。同じ様なツル植物でも、彼らが大雑把に分けて4種類あるそうだが、その内の1種類、私が手にしているこの種類は即死する程の猛毒を持ち、吹き矢の矢毒に使われていたらしい。という事は、その種類を同定できない人間が、自分で選んで、この木の水を飲もうとすると、25%の確率で死ぬってことだ。テレビで、同じ様にして木から湧き出る水を飲んでいる映像があるけど、それは、きっと雇った現地の人が選んでくれているから大丈夫だけど、自分で選ぶのは自殺行為だな、それを飲みそうになった自分に厭きれてしまった。
彼は、さらに、奥の方にある巨木を指差した。その巨木は、幹に細かい傷が同一方向に整然とつけられている。これも同様に吹き矢の矢毒に使われていた毒の木で、イポーの木(Antiaris toxicaria)と呼ぶそうだ。その傷は、その昔、毒になる樹液を採集する際に削られた痕だそうだ。彼は、私を引きつれ、その毒の巨木の近くまで進んだ。最初、私は、彼がその毒の木を間近に見せる為にそこに進んだのかと思ったのだが、実際は、その巨木のまわりにある、低木の植物を見せる為だった。彼は、その低木の果実を見せてくれた。野生のコショウだそうだ。確かに、その果実は、小さな粒がブドウ状になっており、先ほど畑で見たコショウと同じ様な形状だ。でも、これは、食べられないんだと言う。それでも、役目はあるんだそうだ。実は、この野生のコショウの葉は、イポーの木の毒の解毒になるんだそうだ。
彼はその葉を触りながら、「毒の植物があると、必ず、その近くに、その毒を解毒できる別の植物があるんだ。この組合せだけでなく、いろんな組合せがあるんだ。きっと自然の中でバランスを取っているんじゃないかな」と小声で加えた。
その時、彼が何となく遠慮がちに話をしている様に私が感じたのは、きっと、彼らの秘密を、外部の私に教えるのは、慣習的に良くないからだと私は思っていた。別の機会に、この話を彼にしたら、様子が違った。「そうではない。こんな毒とか薬草とかは、古い人間のする事。今は、街で売っている薬があって、病院がある。そんな未開な事をお前に言っていいものか。本当は恥ずかしいんだ。こんな山の薬なんかより、パナドール(アスピリン系錠剤)の方が、何の病気でも効くんだ。馬鹿げていると思っている」と、彼は言い放った。私は、少し複雑な気持ちだったが、彼にこう答えた。「それは、間違った考えだ。あなたは、知らないかもしれないけど、その病院や薬局で売っている薬の原料は、あなた達の森の植物から出来ているんだよ。世界の名だたる科学者もこの熱帯雨林の植物から新しい薬を作り出しているんだ。この前読んだ新聞によると、ビンタンゴー(Calophyllum sp)の樹液は、エイズの薬になるんだよ。ビンタンゴーは、この森にある木ではないのか?今、あなた達が使っている薬草は、まだ、科学的に証明されていないかもしれないが、もしかしたら、沢山の人の命を救う事が出来るかもしれないんだ。今、この伝統的な薬用植物の知識を捨てるのは、もったいない。世代から世代へ受けつくべきだよ。恥ずかしがるのは、そんな文化や知識の無い私の方だ」。私が言い終わると、彼は、私の目をジッと見つめながら、何かを考えていた。と思う。
「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思つた。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの」(太宰治「女生徒」) ~~~~~ドリ鍋(2007年2月10日)
PS. 今回は、イバン族の森の掟をご紹介しました。おいおい、イバン族の風習などもお話したいと思います。
その小高い山は、きっと私の遠い記憶の中に存在したのかもしれない。いや、何度もその傍を通りながら、知らず知らずのうちに、私の心にその姿を刻んでいったのかもしれない。その山は、ポツンと残された深い熱帯雨林に覆われ、その山の稜線は国境で、その向こう側はインドネシアになる。ある縁があって、その森の近くの村に頻繁に行く様になり、ある日、私は、そこに住む先住民族イバン族の村人と共に、野生のドリアンを採りに行く為に、森に入る事になった。私の心に深く刻まれたその森に入る事に期待を膨らませながら着いて行った。
先ずは、彼らの陸稲の焼畑や農園の傍を通りながら、生きて行く為に必要な野菜や果樹等を横目に進んでいった。彼らにとって最も重要な主食であるお米、お米が出来るまでの非常食用としての粟やトウモロコシ、野菜は、インゲン豆やナスや唐辛子、オクラ、キュウリ、ニガウリ、カボチャ、果樹は、パパイヤ、ドリアン、ランブータン、マンゴ、マンゴスチン、換金作物のコショウやカカオ等が所狭しと植えられていた。これだけ種類があれば、食べるのに困らないだろう。
さらに進むと、大きな木々が林立するあたりにぶつかり、いざ、森へ入ろうとする時に、長老の一人が、私の行く手を塞ぎ、私に教えてくれた。イバン族の居住空間には、生活空間であるロングハウスを中心に、そのまわりに作物用の開墾の場所、そして、その周りに手付かずの森、最後に山の稜線の部分は精霊の休む場所、という、周縁状の境界を明確にしている。これから、手付かずの森(イバン語で「カンポン」という。マレー語では、「カンポン」というと村に当るが、イバン族の「カンポン」は深い森の事を指す)へ入っていくのだが、お前は始めてこの森に入る。その森に始めて入る時には、お清めとして、その土を少し指につけ、額につけるのが慣わしだから、お前もそうしろ、と言われ従った。その長老は、一言「ウム」と言って、先に進んでいった。それまでに居た開墾地に比べて、一気に、温度が下がった様な気がした。それは、その森の木々の樹冠がみつに覆われている為、ほとんど光が差し込まないのが、その理由の一つだろう。そして、光があまり差し込まないせいか、下草やヤシ、シダ、低い木があまりないので、非常に歩きやすく感じた。古い原生林は、歩きやすいという事を聞いたことがあるが、きっとこの事だと思い出した。苔や着生植物の一杯ついた大木が点在し、時には、大きな板根が行く手を塞ぎ、ツル植物が幾何学的な模様で下がっていたりと、熱帯雨林の緑一色の風景が私を魅了した。よくあるジャングルのイメージでは、様々な色の花々が咲き乱れ、サルがそこら中にいて、極彩色の野鳥が、そこら中にいる、そんなのは、幻想だし、人間がつくりあげたものだ、きっと・・・。本当の熱帯雨林は、緑一色だ。でも、その緑の濃淡の微妙な配分が、見るものを飽きさせないし、又、その緑一色の中に、小さな可憐な花を見つけた時、その喜びは、いっそう大きいものになる筈である。
この日は、野生のドリアンを採取に行く筈なのだが、一行の中の二人が肩にライフルを掛けているのに気付いた。確か、その人は、最初犬を数匹連れて来てた様な気がするのだが、その犬の姿は今は見えない。そういえば、イバン族の人は、時として、本当の行き先を告げないという事を聞いた事がある。特に、狩りに行くのに、狩りに行くと伝えるのは、愚か者の行為で、狩りに行く時は、「野菜を採りに行く」とか婉曲的な表現をしなければならないのだ。その理由は、行き先や目的を口外すると、森の精霊が聞いている可能性があり、その精霊がいたずらをするかもしれないと、イバン族の人々は信じているのだ。
それ以外にも、重要な主食である陸稲を作るための焼畑の重要な初期過程として、先ずは必要最低限の二次林を切り開いて、伐った木々を放置して、ある程度自然に乾燥させた段階で、火を入れるのだが、そのタイミングが非常に難しく、明日は火を入れる予定にしていたのにも関わらず、突然、大雨が降り、木々が湿ってしまい、さらに数日待たなければならなくなる事もある。火入れの日は、例えどんな事があっても、誰にも、独り言でも、口外する事が出来ないのだ。森の精霊の悪戯を阻止する為にも・・。
と、もの思いに耽りながら歩いていると、突然、ライフルを持った二人が走り出した。犬のけたたましく吼える声が、前方左手に微かに聞こえ、遠ざかっていく。彼らも、その方角に向かった様だ。「向かった様だ」というのは、私が気づいた時には、その二人の姿は見えなくなっていたからだ。そこに残った村人達は、黙って座って待っていた。私は沈黙に耐え切れず、つい口を滑らせて、「獲物は、イノシシかな、シカかな」と尋ねてしまった。私の隣に座っていた村人が、一瞬、私の目を見つめて、首を横に振った。私は、最初意味がつかめなく、その意味を尋ねようとしたが、彼は、何かを察知して、彼の手で、私の口を塞いだ。あっ、そうだ。これもタブーだ。森の精霊に聞かれてしまう。そう気付いた私は、彼の手をそっと掴んで、私の口から離し、言葉にせず身振りで謝った。突然、我々の背後で熱帯特有のけたたましい鳥の鳴声が木霊した。それに追従するかの様に、蝉の大合唱が始まった。
しばらく、蝉の鳴声に浸っている内に、遠くで、「ヒュー」とか、「フィー」とか、と呼んでいる声が聞こえてきた。こちらの待機組も、同じ様にして、呼応している。どうしたんだ、と、私の口を塞いだ彼に尋ねると、ゆっくりとした口調で教えてくれた。イバン族の森の掟では、絶対に、森の中では、見えない人の名前を呼んではいけないし、逆に、森の中で、見えない人が自分の名前を呼んでも、絶対に返事をしてはいけない。何故かと言うと、その声は、人間の声ではないかもしれないからだ。分かりやすく言うと、森の精霊が呼んでいる可能性があるということ。もし、その声に反応すると、その森の精霊に憑かれ、病気にかかってしまうそうだ。だから、森の中でお互いが見えない時は、名前を呼び合わず、「ヒュー」や「フィー」等と叫んで、お互いの位置を確認しあい、距離を狭めるのだ。それに、森の中では、すぐ後ろにいる誰かから名前を呼ばれた時、頭だけ振り返って返事してはいけない。頭の頂点と右肩、左肩の三角形が崩れると、精霊に突付かれるので、出来るだけ、その三角形を崩さない様にしなければならない。「なるほど」と思っていると、獲物を追いかけた二人が戻って来て、首を横に振った。私の隣のその村人は、私の目をチラッと見たあと、立ち上がって、他の村人と共に、先に進んでいった。
数歩進むと、宿主を絞め殺して、内側が空洞になった絞め殺しイチジク( Ficus sp )があった。すぐ傍にあったのにも関わらず気が付かなかったのは、私の座っていた所からは、見えない位置にあったからだ。巨大な絞め殺しイチジクで、これだけ大きくなると、精霊の宿るという表現がぴったりの樹木だ。絞め殺しイチジクは、その実を食べた鳥等が、その宿主となる樹冠の幹に、種子を糞と共に落とし、そこで発芽すると、地面へ向かって根を降ろしていく。一旦その根が地面に到着すると、次は、その宿主を覆うように根が伸び、その宿主を絞め殺していく。といっても、その沢山の根で絞め殺しているという訳でもないらしく、地面の方で、沢山の根が根差すことで、養分を宿主より沢山吸収し、樹冠では、宿主より高く緑の葉を繁らせ、宿主の樹冠を覆い尽くし、最終的には、その宿主が十分な養分を得る事が出来ず、結果朽ち果てて、絞め殺しイチジクだけ残り、その宿主があった部分だけ空洞になる。熱帯雨林の刹那、1本の木を殺してしまうという意味では、残酷な木でもあるが、一方で、そのイチジクの多岐に渡る根がその周りにある他の低い樹木に這う事もあるので、その樹木が生長し高くなると、林冠部の小動物の空中回廊が出来る事もある。これは、生態系では、動けない植物の種子を小動物がより広い地域に拡散する為の種子分散という意味では、非常に意義がある事だ。又、イチジクは、沢山の種類があり、それぞれ、果実のなる時期が異なるので、1年中、いずれかの種類が実をならす。動物にとっても、特に果物のシーズンで無い時期には、重要な食料源になるのだ。
イバン族にとっては、とりわけ、狩りをする時に重要で、特に、イチジクの実がたわわになっている時は、様々な動物が集まるので、狩りの獲物が集まる場所として、逆に、絞め殺しイチジクのすぐ傍の木が果実をたくさんならしている時は、この絞め殺しイチジクは、空洞が沢山あるので非常に登りやすいので、上の方に登って、隠れて獲物を待つ事が出来る。一方で、自分たちにとって重要な木に、例えば、ドリアンの木等に、この絞め殺しイチジクが憑くと、いの一番に伐って落とす事で、重要な果実の木が殺されない様な手立ても行う。この絞め殺しイチジクは、イバン族の人々にとっても、良い面がある一方、悪い側面もあるのである。その巨大な絞め殺しイチジクを横目に思いを巡らしていると、人間には性善説と性悪説とあるが、時として、人間は天使の様なやさしさを持つ反面、時として、悪魔の様な残虐な一面を持つ事を考えると、きっと、人間もそういう両側面を兼ね備えている自然の産物だろうと、ふとそんな考えが沸いてきた。因みに、イバン族の諺で、「ピンジャオ・カラ」という言葉がある。「ピンジャオ」が「借りる」と言う意味、カラは、絞め殺しイチジクの現地名の「アラ」からきた言葉。転じて、借りたものを返さない輩の事を、「ピンジャオ・カラ」と言う。
突然、前にいる青年が立止まったので、私は、一瞬、転びそうになった。何かいる様だ。彼が、「蛇がいるよ」と教えてくれたが、どこにいるか分からない。その青年は、長い事探している私を、興味深げに見ながら、「あそこだよ、あそこ」と指差してくれるけど、皆目分からない。私が見つけられないのに我慢できないようで、近くにあった落ち木を拾って、その蛇に向けてくれた。やっと、私の目で場所が確認できたが、その蛇は、綺麗な緑色のヨロイハブという種類で、丁度、1m位の高さの幼樹の枝先にいて、その葉と似たような色の為に、識別が困難だった。その青年が、「俺が気付かなかったら、お前は蛇に咬まれていたよ」と笑った。最初は、ただ私をからかっているだけなのかと思って、私がムスッとした顔をしたら、彼が真顔になって、「イバン族の言い伝えではね。3番目に歩くのが一番危ないんだ。今、僕らは後ろの方だけど、前の方の人は、ここを通っていないんだ。ほら、この先には足跡がないでしょう。何故かって、きっと遠くから蛇が見えたから、少し遠回りしたんだ。それで、少し間があいて、ここを通ったのは、僕達だけだけど、お前は、ちょうど3番目なんだ。前にいる長老は、よく見えるんだ。新聞は読めないけど、こういうのは良く見えるんだ。後、その長老の傍にいる、背の高い痩せた青年は、お前の様に蛇を見つける事が下手で、よく咬まれるんだ。怖いから絶対3番目には歩かないんだ。今は、前から4番目に歩いているし・・」と言って笑った。
そのヨロイハブのいる幼樹を避けて進みながら、彼は話を続けた。「もし、おまえが一人だけで森にいて、毒蛇に咬まれたら、何を一番最初にしなければならないと思う?」私は、少し考えて、「咬まれた所を吸って毒をとる」と答えた。彼は、「そうじゃなく、もっと先にやってなければいけない事だよ」と言った。私は、矢継ぎ早に「何かで縛る?」と。彼は、厭きれた顔つきで、私を見ながら話し出した。「一番最初にやる事、それは、おまえがまだ動ける時にやらなければいけない事という意味。何かって、すぐ、その咬んだ毒蛇を殺す事。そうすれば、おまえが気を失っても、毒蛇の死骸を自分の傍に置いてれば、見つけた人がすぐにどの薬草を使わなければならないか分かるだろう。そんなに時間がたってなければ、まだ息があれば、何とかなるんだ。でも、もし、毒蛇を殺さず逃がしてしまったら、例え、咬まれた所を吸取っても、何かで縛っても、誰か人がいる場所に辿り着かなかったり、気を失ったお前を誰かが発見したとしても、どの毒蛇の薬草を使わなければいけないか解らないんだ。それだと、手遅れだ。それに、歩けば歩くほど、毒がまわるからね。動き回るのは駄目だよ。パニックになるのも同じ。
あの痩せた青年は、5年前、森に一人でいる時、さっきのヨロイハブに咬まれたんだ。結構、森の奥まで入っていたんだ。歩いて帰るのは無理だと悟って、彼も何かをする事を諦めて、とにかく、その蛇を殺すだけはしたんだ。そして、その毒蛇の死骸を体のすぐ傍に置いて、あとは、一切動かず、もっていた水を飲み、運良く、川の傍だったので、その川の水を出来るだけ飲んで、耐えたんだ。毒蛇などに咬まれた時、水を出来るだけたくさん飲めば、毒が薄まるんだって。あの長老は、若い頃一回だけ毒蛇に咬まれた事があるんだけど、水をたくさん飲んだら、何ともないと言っていたよ。長老の足首には、今もその傷跡が見れるけど・・・。
それで、あの青年も1日目は意識があったみたいだけど、少しづつ朦朧としだし、真夜中にウトウトとしたら、その後は覚えていないみたいだった。村人の人は、彼がすぐ帰ってくると言っていたのに、その日に帰って来ないので、心配して、次の日の朝、皆で探しに行ったら、気を失って、口から少し泡が出てたそうだ。その時も長老が、ちゃんと数種類の毒蛇の解毒用の薬草を持っていて、その毒蛇用の薬草を飲ませて、村へ運んだのだ。少し心配だったので、街の病院にも連れて行ったんだ。今は大丈夫だけど、少し呂律がおかしいんだ。大体、毒蛇に咬まれると、細かい神経が機能しなくなるらしい。発音がおかしくなる。彼の話し方は少し変だろう」。私は、「どうやって、殺すんだ」と尋ねたら、彼が失笑して、「お前のその腰にあるパラン(蛮刀)は、踊りの為か?何の為にある?」と答えた。その私の腰元に不恰好にぶら下っているパランの事をうっかり忘れていた。
彼は笑いながら、木々の間に複雑に絡まっている木本性のツル植物を、切り取って、1本の杖の様にして、私に渡した。それを垂直に持っていると、最初は少しづつ、徐々に勢い良く、水が流れ出した。あ、これが、水の飲める木だと思って、口をその水の方にもっていこうとすると、彼が慌てて止めた。私はびっくりして、「この水は飲めるんじゃないか?」と尋ねると、彼曰く、この種類は猛毒だそうだ。同じ様なツル植物でも、彼らが大雑把に分けて4種類あるそうだが、その内の1種類、私が手にしているこの種類は即死する程の猛毒を持ち、吹き矢の矢毒に使われていたらしい。という事は、その種類を同定できない人間が、自分で選んで、この木の水を飲もうとすると、25%の確率で死ぬってことだ。テレビで、同じ様にして木から湧き出る水を飲んでいる映像があるけど、それは、きっと雇った現地の人が選んでくれているから大丈夫だけど、自分で選ぶのは自殺行為だな、それを飲みそうになった自分に厭きれてしまった。
彼は、さらに、奥の方にある巨木を指差した。その巨木は、幹に細かい傷が同一方向に整然とつけられている。これも同様に吹き矢の矢毒に使われていた毒の木で、イポーの木(Antiaris toxicaria)と呼ぶそうだ。その傷は、その昔、毒になる樹液を採集する際に削られた痕だそうだ。彼は、私を引きつれ、その毒の巨木の近くまで進んだ。最初、私は、彼がその毒の木を間近に見せる為にそこに進んだのかと思ったのだが、実際は、その巨木のまわりにある、低木の植物を見せる為だった。彼は、その低木の果実を見せてくれた。野生のコショウだそうだ。確かに、その果実は、小さな粒がブドウ状になっており、先ほど畑で見たコショウと同じ様な形状だ。でも、これは、食べられないんだと言う。それでも、役目はあるんだそうだ。実は、この野生のコショウの葉は、イポーの木の毒の解毒になるんだそうだ。
彼はその葉を触りながら、「毒の植物があると、必ず、その近くに、その毒を解毒できる別の植物があるんだ。この組合せだけでなく、いろんな組合せがあるんだ。きっと自然の中でバランスを取っているんじゃないかな」と小声で加えた。
その時、彼が何となく遠慮がちに話をしている様に私が感じたのは、きっと、彼らの秘密を、外部の私に教えるのは、慣習的に良くないからだと私は思っていた。別の機会に、この話を彼にしたら、様子が違った。「そうではない。こんな毒とか薬草とかは、古い人間のする事。今は、街で売っている薬があって、病院がある。そんな未開な事をお前に言っていいものか。本当は恥ずかしいんだ。こんな山の薬なんかより、パナドール(アスピリン系錠剤)の方が、何の病気でも効くんだ。馬鹿げていると思っている」と、彼は言い放った。私は、少し複雑な気持ちだったが、彼にこう答えた。「それは、間違った考えだ。あなたは、知らないかもしれないけど、その病院や薬局で売っている薬の原料は、あなた達の森の植物から出来ているんだよ。世界の名だたる科学者もこの熱帯雨林の植物から新しい薬を作り出しているんだ。この前読んだ新聞によると、ビンタンゴー(Calophyllum sp)の樹液は、エイズの薬になるんだよ。ビンタンゴーは、この森にある木ではないのか?今、あなた達が使っている薬草は、まだ、科学的に証明されていないかもしれないが、もしかしたら、沢山の人の命を救う事が出来るかもしれないんだ。今、この伝統的な薬用植物の知識を捨てるのは、もったいない。世代から世代へ受けつくべきだよ。恥ずかしがるのは、そんな文化や知識の無い私の方だ」。私が言い終わると、彼は、私の目をジッと見つめながら、何かを考えていた。と思う。
「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思つた。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの」(太宰治「女生徒」) ~~~~~ドリ鍋(2007年2月10日)
PS. 今回は、イバン族の森の掟をご紹介しました。おいおい、イバン族の風習などもお話したいと思います。
ドリ鍋の四方山話
ボルネオ島サラワク州
第1回 ボルネオ島の白人王国「サラワク」(2006年12月10日)
・・・100年間続いた英国人ブルック家の所有した謎の王国(1841年~1941年)
第2回 フルーツの王様「ドリアン」 (2006年12月17日)
・・・「ドリアンを食べる為だけでも、ボルネオ島に来る価値がある」 (アルフレッド・ウォーレス)
第3回 謎の病気(?)「ラタ」 (2006年12月21日)
・・・パイナップルボンバー洋平のトラウマを起こした病気に迫る
第4回 世界遺産のムル国立公園(2006年12月25日)
・・・秘境のリゾート、巨大洞窟とコウモリ達 、そして、アントゥー
第5回 マレーシア・バイアグラ「トンカタリ」(2007年1月10日)
・・・元気が出ます。むくみが取れます。社長の深夜の結果報告もありました。
第6回 クチンの屋台事情「ラクサ」「コロミー」「経済飯」(2007年1月16日)
・・・我々は、洒落たカフェで昼食は取れません。間違っても、屋台です。
★特別企画!! サラワク王国時代の国歌 (2007年2月2日)
・・・2代目白人王チャールズの妻、マーガレット・ブルック作曲によるサラワク王国国歌の音源化。
第7回 とても高い木「タパン」と蜂蜜(2007年2月10日)
・・・超高木「タパン」の謎、そして、熱帯雨林の何百種類の花の蜜からできた蜂蜜を売る謎のおっさん
第8回 ボルネオ島熱帯雨林での「森の掟」(2007年2月10日)
・・・サラワク先住民族イバン族の森の掟と、受け継がれる知恵
第9回 イバン族の夢占い(2007年2月26日)
・・・イバン族のシャーマンの解く、語り継がれる夢の意味の片鱗。
第10回 イバン族の食文化(1)(2007年6月20日)
・・・サラワク先住民族のイバン族の一番大切なもの、それは・・・。
第11回 イバン族の食文化(2)(2007年6月23日)
・・・サラワク先住民族のイバン族の男達の一番大好きなもの、それは・・・。
・・・100年間続いた英国人ブルック家の所有した謎の王国(1841年~1941年)
第2回 フルーツの王様「ドリアン」 (2006年12月17日)
・・・「ドリアンを食べる為だけでも、ボルネオ島に来る価値がある」 (アルフレッド・ウォーレス)
第3回 謎の病気(?)「ラタ」 (2006年12月21日)
・・・パイナップルボンバー洋平のトラウマを起こした病気に迫る
第4回 世界遺産のムル国立公園(2006年12月25日)
・・・秘境のリゾート、巨大洞窟とコウモリ達 、そして、アントゥー
第5回 マレーシア・バイアグラ「トンカタリ」(2007年1月10日)
・・・元気が出ます。むくみが取れます。社長の深夜の結果報告もありました。
第6回 クチンの屋台事情「ラクサ」「コロミー」「経済飯」(2007年1月16日)
・・・我々は、洒落たカフェで昼食は取れません。間違っても、屋台です。
★特別企画!! サラワク王国時代の国歌 (2007年2月2日)
・・・2代目白人王チャールズの妻、マーガレット・ブルック作曲によるサラワク王国国歌の音源化。
第7回 とても高い木「タパン」と蜂蜜(2007年2月10日)
・・・超高木「タパン」の謎、そして、熱帯雨林の何百種類の花の蜜からできた蜂蜜を売る謎のおっさん
第8回 ボルネオ島熱帯雨林での「森の掟」(2007年2月10日)
・・・サラワク先住民族イバン族の森の掟と、受け継がれる知恵
第9回 イバン族の夢占い(2007年2月26日)
・・・イバン族のシャーマンの解く、語り継がれる夢の意味の片鱗。
第10回 イバン族の食文化(1)(2007年6月20日)
・・・サラワク先住民族のイバン族の一番大切なもの、それは・・・。
第11回 イバン族の食文化(2)(2007年6月23日)
・・・サラワク先住民族のイバン族の男達の一番大好きなもの、それは・・・。