第4回

世界遺産の

グヌン・ムル国立公園

★秘境のリゾート、巨大洞窟とコウモリ達、そして、アントゥー(精霊)

2000年、お隣のサバ州の東南アジア最高峰のキナバル山と共に、ここサラワク州のムル国立公園が、マレーシア初の世界遺産として、一度に2箇所選ばれました。ムル国立公園は、熱帯雨林の多様な生態系を有するだけでなく、石灰岩層の部分が非常に厚く、巨大洞窟や、非常に長い洞窟などで有名ですが、一方で、未だ全体の40%位しか洞窟調査がされていないので、未知の部分が多い場所です。

ムル国立公園は、ブルネイとの国境に位置し、今でも車で行くには、非常に困難で、幾つか、大きな川を超えなければならないのですが、ムルには、この国立公園のアクセス・ポイントとして、小さな空港があります。空港が出来る前の交通手段は、川のみに限られており、ミリから、バラム川という川を上流へ高速艇で4~5時間程で、ロングテラワンという先住民族ブラワン族の村へ辿り着き、その後、村人たち所有のロングボートで、支流のトトゥ川から、更に支流のメリナウ川に入り、村から約3時間掛かり、総計8時間以上掛かる道のりでやっと辿り着ける場所でした。今でもこのルートで行く人はいますが・・・。

ムル空港が出来てからは、最初は、19名乗りの飛行機、2003年以降は、50名乗りの飛行機で、ミリ空港から約30分位のフライトで、簡単に行ける様になり、国内外の幅広い観光客が訪れる事ができる様になりました。一般的には、国立公園内の、4つの整備された洞窟(通称、4SHOW CAVEと呼ばれる)が、メインの観光地です。当然、街というものはありません。ここにあるのは、ムル空港、ロイヤル・ムル・リゾートと言うホテル、国立公園の事務所及び宿泊所、近隣の旅行会社運営のロッジ、ブラワン族の村と、プナン族の村、これしかありません。観光地と言いましても、自然が中心になりますので、トレッキングをする必要があるのですが、非常に整備されているので、年配の方でも、意外と苦も無く行けます。

その4つの洞窟の内2つは、ボートで行ける(無理すれば、歩いても行けますが)、東南アジアで最も長く、世界でも10番目に長い洞窟経路として、全長を合わせて、約129Kmとなるクリアーウォーター・ケイブと、それと繋がっていますが、別の入口のウィンド・ケイブ。と言っても、その全部を観光するのではなく、そのメインの迫力ある所を見学します。ウィンド・ケイブは、2箇所強い風が吹き抜ける事からこの名が付き、その中にある、キングス・チャンバーと言う箇所は、鍾乳石が発達した空間もあります。一方で、クリアーウォーター・ケイブは、何トンもの水が通り抜けると言われている地底川の迫力は、見た人にしか分からないと思います。

もう2つは、公園事務所から徒歩で、約3km程、整備された木道を歩いていくと、巨大な絶壁に大きな穴があいています。これが、ディア・ケイブと呼ばれる、世界最大級の洞窟で、全長、1.8km程、最も高い所で120m、最も幅の広い所で180m、平均直径が120mと、通路の大きさでは、世界最大です。ここに、推定約200~300万匹のコウモリが棲んでおり、夕方になると、餌を求めて、飛び立っていきます。その小さなコウモリの群れが移動していく様は、竜が舞っている様に見えます。長い時では、約一時間位続きます。一応、念の為に、200~300万匹とかいてますが、誤字ではありません。本当に万匹です。私は、何度もこれを見てますが、見る度に、自然の力を感じざるをえません。テレビ等で放映されてますが、これだけは、この迫力だけは、コウモリの群れの真下で見ないと、味合えません。このディア・ケイブは、洞窟としてもでかいです。先に述べた数値では、きっと想像出来ない大きさがあります。もう一つ、ラング・ケイブというのがありますが、これは、鍾乳石の造形美に興味がある方は、この洞窟が楽しめます。鍾乳石の形成や侵食などの様子が良く分かります。と、4つの洞窟を紹介しましたが、それ以外にも、ジャンボジェット機が40機ほど入るサラワク・チャンバー、方々から吹く風の影響で鍾乳石がうねっているドランクン・フォレスト・ケイブ、標高1200mの位置に聳え立つ、約40m程の石灰岩のとげとげのピナクル等があります。

すみません、観光記になってます。私が何を言いたいかと申しますと、非常にディープな森だという事を理解して頂いて、この後の話を読んでください。

プナン族という民族は、元来(今でも多少いますが)、森の中で移動をしながら、生活をしていた移動狩猟民族でした。そういったプナン族の人々でも、対照的な農耕民族のブラワン族の人々でも、その先祖たちは、絶対に、洞窟の中には入らなかったそうです。何故かというと、彼らにとって、洞窟の中は、魔物(アントゥー)が住む場所と考えていたのです。鍾乳石が創り出す岩々は、見方によっては、色んなものに見えます。きっと、そういったものは、魔物の化身と思えたのでしょう。

 しかし、魔物は、どこにでもいます。特に、森には、いろいろといます。森での掟は、次回に回すとして、本当にあった話を書きます。それは、ディア・ケイブへ行く木道の修復工事をしていた労働者たちが、森の中に泊り込みで、工事をしてました。真夜中、一人で事務所へ行かなければいけない用事が出来た人がいて、暗い道を約1km先の事務所へ行き、その戻る最中、何か、後ろからつけられている様な気がして、彼は怖くなって、急ぎ足で、戻りました。

工事している場所に辿り着いた所、慌てているので、他の人が理由を尋ねると、この事を話しました。すると、中の一人が、そんな幽霊(アントゥー)なんかいないと大笑いをして、彼を罵りました。事件は、翌日、起こりました。 工事は、未だ続いておりましたが、翌日、この罵った彼が、行方不明になったのです。しかも、その彼は、ここの人間ではなく、他所から来た人で、このあたりの森の様子が分からない筈。心配した現地の人々は、銅鑼を鳴らして、森の中を、皆で探しました。伝統的に、森で人が行方不明になると、銅鑼を鳴らす事によって、その人を呼ぶのです。1日目が過ぎ、2日目が過ぎ、3日目が過ぎ、そして、4日目が過ぎ、少し諦めの色が出だした時、新しい展開が起こったのでした。

 丁度、私は、その5日目にムルに到着し、この話を聞いたのですが、夕方、現地の人が言うには、空港から見える、約400m位の高さの石灰岩のむき出しになった絶壁の中腹(高さ200m位)に、彼が行方不明になった時に着ていた、赤いシャツらしきものが見えるそうです。麓からは、木が邪魔をして、はっきりと見る事が出来ないので、ほとんどの人が空港近辺から見てるのですが、双眼鏡で見ても、立体的な赤いものが見えるだけ、そして、その日は、何もする事ができず、日が暮れてしまいました。村人たちは、彼が山を登って、上から落ちて、中腹に引っかかってしまったか、とか、何かがあって、登って行ったけど、途中で力尽きてしまったのか、等といろんな憶測が飛び交っていました。しかし、その絶壁は、傾斜がほとんど90度の断崖だった事から、謎は深まるばかりでした。

 翌日、村人の中で、崖が登る事が得意な青年が、その場所まで、フリークライミングで登っていきました。数時間の苦労の末、辿り着いた後、立体的な赤いシャツは、どうも人では無い様で、持って降りるのは不可能な為、そのまま、下に落としました。下で見守っていた人は、一同に、落ちたシャツの周りに集まりましたが、その赤いシャツが立体的に見えたのは、シャツの中に枝が沢山詰めてあったからでした。でも、なぜ?? 皆不思議に思いました。

行方不明になった彼が、いたずらで、山に登って、これを落としたとしても、そんなに上手くは引っかからないでしょうし、逆に、下から登っていくには、相当な技術が必要です。その彼は、崖を登る事は出来ない人でしたから、謎は、深まるばかりでした。ある人は、彼が、何かの理由から、逃げたのでは、と言う人がいましたが、そのムルから移動する方法は、①飛行機を利用、②川で移動、③川で移動後、伐採会社用の4駆で移動、④延々歩く、と言う4つの方法しかない。①は空港で記録が残る筈。②は、彼はよそ者ですから、ボートは現地の人の手助けが必要。③は「②」と同じ状況。④は、下流方向へは、絶対に不可能。唯一、歩いて移動する可能性として、山側へ移動するとしても、山頂までジャングルを24km、高さ2000m以上の山を越えていかなければならないし、超えても、さらに、30km以上歩かなければ集落に辿り着けない。もう一つのルートは、ブルネイやリンバン(サラワク)へ移動する事も可能ですが、そちらには、公園スタッフのチェックポイントを通らないといけない仕組みですし、非常に困難な上、距離がありすぎる。この地域は、いわば、陸の孤島なのです。人々の謎は、深まるばかりでした。

2週間をたって、探すべき所は、殆ど探しても見つからないという事で、捜索が一端打ち切られました。それでも、この国立公園の一部地域のみに許可されている、先住民族の狩りの地域で、狩猟をするプナン族等の人々に、見つけたら知らせる様にと依頼だけして、捜索の方は、行われませんでした。行方不明者が、村人では無いと言う事もあって、関係者以外は、次第に、この事件を忘れ出した一ヵ月後のクリスマスの日に、進展が見られたのでした。

その彼が、何と、100km先のバリオと言う高地で見つかったとの報告がありました。でも、この方向は、行方不明になった地点からは、ムル山を超えてさらに、数々の急な丘陵地を越えていかなければいけません。村人達でも、このルートは、よっぽどの事があっても、行く事は困難と言われている道のりです。その関係者の代表のP氏が、急遽、バリオまで、飛行機で飛び、彼と面会しました。そこで、見た彼は、与えられた洋服をきているものの、やつれていて、当初より、数10kgは痩せいている様でした。彼に事情を尋ねると、以下の様な話をしだしました。

「ここに着くまでは、夜にならなかったです。日が暮れたかと思ったら、ずっと傍にいた人もいなくなり、ここの村人が話しかけてくれたのです。その後、今日まで2日間、ずっと眠りに落ちていました」 P氏は、「ずっと傍にいた人」とは、誰かと尋ねました。彼は、最初から、少しづつ思い出しながら、一言一言ゆっくりと語りだしました。「最初、工事の途中、小便がしたくなって、誰にも知らせず、ふらっと、森の中へ行きました。用が済んだ後、現場へ戻ろうとすると、大きな木の傍に女性の人がいました。その人は、ムルでも見た事が無い人で、色の白い、髪の長い女性で、サロンの普段着の姿でした。いろいろ話を聞いてくるので、答えていると、彼女が、私の村へ来ませんかと言うのです。一瞬、仕事の事も脳裏をよぎりましたが、少しさぼっても大丈夫だろうと思い、彼女に付いて行く事に決めました。その道々は、今まで見ていたジャングルの風景とは異なり、別世界に来た様な感じでした。途中で、2つの大きな岩に座れる所があり、その木陰で休み、彼女が持っていた笹に包まれたご飯を食べました。今思うと、彼女は、何も持っていなかった筈なので、どこから、持ってきたのか不思議ですが。その後、様々な果物が沢山なっている所を通りかかり、その果物は、見た事があるものもあれば、今まで、見た事の無いものもありました。彼女が、落ちているものを拾って、皮をむいてくれて、食べました。幾つかどぎつい赤い実がありましたが、彼女は、これは猛毒で、触っても死ぬからと教えてくれました」

 彼は、一息ついて、続けました。少しばかり、目が中空をさまよってました。「そうこうすると、大きな川が出てきて、少し休みました。川は、非常に澄んでいて、中を泳ぐ魚が、よく見えました。大きな魚、小さな魚、いろいろいました。彼女が、大きな魚を手づかみで取ると、火をおこして、焼いて、食べました。今までに食べた事の無い、身の引き締まった、少し甘味のある美味しい魚でした。そろそろ、戻らなければ、と思い、彼女に話すと、この川の向こうが村だからと言って、引き止められました。川の向こうといっても、ボートが無いと行けそうにも無い。しかし、彼女は、ゆっくりと立ち上がって、川の方へ向かいました。座っている私から見えた彼女は、濡れた髪が逆光に煌き、非常に綺麗に見えました。きっと、今戻っても、皆に怒られると思い、着いていきました。幾つかの場所は、非常に急流で、水深が胸の高さ位あって、流されそうになりましたが、前を歩いている彼女に付いて行く事だけに集中しました。少し前方にいた彼女が対岸に着いたので、安心したのですが、足を取られて、一瞬、おぼれそうになりました。体制を整えて、彼女がいる場所を見たのですが、彼女の姿が視界に入らない。何とか私が対岸について、周りを探しても、彼女の姿が見当たらない」

 彼は、彼女を探している様な目をしながら、さらに、続けました。「村は、この近くといっていたので、藪をかき分けて歩くと、村が見えてきました。ちょうど日が暮れだした頃に、この人達に会ったのです。シャツをどこかで無くして、裸だったので、最初は怪しまれましたが、クリスマスのお祝いをしている様で、招待されました。その時、私は、不思議に思いました。今日は、未だ11月なのに、どうしてクリスマスのお祝いをしているのだろう。隣に座っている人に聞いてみました。今日は、何月何日か。その隣の人は、「今日は、12月25日」だと言う。私は、「そんな事は無い、今日は、11月25日で、この村の娘に案内されて、朝からずっと歩いてきた。さっき、ここに来る前、大きな川を渡った後、彼女は、いなくなった。多分、自分の家に戻っている筈だ」と言った。しかし、その隣の人は、「この近くには、川は無いし、この村の娘たちは、今日は、朝から教会の行事で忙しい。私は、教会の人間だから、間違いない」。私は、さらに気分が悪くなり、「ここは、どこだ」と聞くと、「バリオから、歩いて1時間位の所だ」と言う。バリオは、ムルから100km近くある場所で、そんな事は無いと不思議に思ったのだが、急に疲れが出てきて、眠りに落ちました」

 P氏は、ここまで聞き終わって、ふと、ムルの村の長老が言った言葉を思い出しました。「あの絶壁の近くには、女性のアントゥー(精霊)がいるんだ。一人でいる男を見つけては、話かけるそうだ。でも、彼女についていってしまうと、精霊の世界に入り込み、この後は、この男の運次第で、運がよければ出て来れるし、運が悪ければ・・・・」

P氏は、ゆっくりと、彼に伝えました。「お前は、1ヶ月行方不明だったんだぞ」。急に、この彼は震えだし、気を失ったのでした。

この事件は、2004年の末に実際に起こった事件です。私は、これを皆さんを怖らがせる為に、話しているのではありません。熱帯雨林の中には、精霊が宿る場所でもある。例えば、イバン族の人々は、焼畑を行っても、丘の頂にある木々は、絶対に伐りません。これは、精霊が休む場所だそうだからです。精霊を恐れる事はありません。精霊に対して敬意を表せば、何も起こらないのです。私も、ムルのブラワン族の人に言われた事を続けてます。観光客を連れている時に、絶壁の傍を通る瞬間、心の中で一言「この道を通ってるだけです。森やあなた方精霊に何かをしに来た訳ではありませんので、無事に通してください」と。

余談ですが、社長は、この道を歩く時、どんどん、足が遅くなっていくそうです。疲れているのか、憑かれているのか、分かりませんが・・・・。
「ひょっとしたらこの宇宙は、何かの怪物の歯の中にあるのかも知れぬ」(チェーホフ「手帖」) ~~~~~ ドリ鍋 (2006年12月25日)


PS. 今回のは、少し怖い話をしてみました。でも怖がらないで下さい。近い内に、イバン族の森の掟などのお話もしてみたいと思います。

ドリ鍋の四方山話

ボルネオ島サラワク州

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第3回 謎の病気(?)「ラタ」 (2006年12月21日)
・・・パイナップルボンバー洋平のトラウマを起こした病気に迫る  
第4回 世界遺産のムル国立公園(2006年12月25日)
・・・秘境のリゾート、巨大洞窟とコウモリ達 、そして、アントゥー
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