第10回 

イバン族の食文化 (1)

★ サラワク先住民族のイバン族の一番大切なもの、それは・・・・。

 雨季が終わる2月頃、サラワク州の先住民族のお米の収穫が始まる。その時分、私はイバン族のロングハウスに訪問した。ある日、畑仕事をしている友人のウォルターに会う為に、彼の畑へ向かった。途中、何人かの村人に出会い、世間話をしながら、彼の畑に辿り着くと、日本と同じ様な風景に出会った。破れた麦藁帽子をかぶらされた泥まみれの不細工な案山子が、動く事無く、何も語らず、佇んでいた。時折吹く風でそよぐ稲の穂先が、何かを思い出したかの様にさらさらさらと音を立てる。その静かな田圃に、動く影が見え隠れした。私は、その山の麓に広がった田圃が見渡せる丘の上に、随分長いこと立って眺めていた。その影の主であるウォールターが一瞬空を見上げた時、私に気付いて、案山子と同じ形の麦藁帽子を取ると、彼の顔全体がきらりと光った。すぐさま、ウォルターは私の方に向かってきたが、ある程度迄近づいた時、その光は、彼の顔に絶えず流れる汗が反射したものと分かった。一言二言交わして、高床式の小さな出作り小屋まで進み、私は荷物を置いた。彼が、インスタント・コーヒーを淹れている間、私は、荷を解き、一段楽したところで、その甘いコーヒーを飲んだ。彼もちょうど、一息付きたかった様だ。彼は、日が昇る頃から、今まで、ずっとお米の収穫をしていた様だ。その小屋の傍の麻袋に収穫した稲がぎっしりと詰められていた。  

彼の田圃は、麓の平地に湿地を利用した「湿地田」と、すぐ傍に麓の丘陵地を利用した陸稲の「焼畑」とが並んであり、その奥には彼自慢のコショウ畑、更に奥にはドリアン等の果樹畑がある。その日、ウォルターは湿地田の収穫をしていた。湿地田は、川の傍の湿地帯に稲作をするお米の種類で、通称、パディ・サワと呼ばれてる。7月頃、収穫後数ヶ月間放置されていた田圃の雑草を除草剤を使い、根こそぎ取って焼く。その後、8月後半頃に田植えをする。苗代を作り、苗を植えていくので、遠くから見ると、日本の田植えと殆ど変わらない。当然、手作業だが・・。残念ながら、湿地田にトラクターを入れたら、進まないだろうなという位、デコボコしている。その後は、肥料をあげ、下草刈りなどを定期的にし、1~2月頃に収穫となる。同じ場所で、数年間稲作が出来る利便がある。  

一方で、焼畑は、丘陵地などの2次林を焼いて作られるお米の種類で、通称、パディ・ブキットと呼ばれる。2次林を3~4エーカー程(ちょうど一家族が1年間食べていく事の出来るお米が出来る)を切り拓いて、数週間乾燥させた後、一番乾燥する8月頃に火入れをする。その後、9月頃に種もみを直播する。この風景は、独特で、一人が、長い棒でリズミカルに穴を掘っていき、もう一人が後ろから付いていき、その穴に数種類の種籾を入れていく。収穫は、1~2月頃となる。焼畑は、同じ場所では、長くても2年位しか稲作が出来ないので、場所を変えていく必要がある。両方とも、数種類のお米を同じ所に植えていく事で、害虫や鳥などの災害で全滅しない様にするそうだ。又、焼畑の稲と稲との間には、非常食用にトウモロコシ等を植え、その他、野菜として、かぼちゃや豆類を植えたりもする。  

ウォルターは、一瞬躊躇したが、私にやってみるかと尋ねた。手伝ってくれと言わない所が要領を得ている。手にすっぽり入る小刀を使って、穂先を刈取っていくイバン族の伝統的なやり方だが、数100km離れた所に住む別の先住民族ビダユ族の人々は、穂先を刈り取る事はタブーになっている。穂先に、刃物を立て、梳くことで籾だけとっていく。ウォルターに従って、湿地田へ進んで行ったが、早速ぬかるみにはまって転んで、一気に稲を薙倒してしまった。湿地田だから、当然、ぬかるんでいる。稲の列に沿って、細い畦があるので、その部分を進んでいかないと、一気に膝元迄埋まってしまい、身動きが取れなくなる。彼は、私を一瞥したが、何事も無かった様に、非常に早いスピードで、リズミカルに穂先を刈っていく。私は、と言えば、不器用に進みながら、彼の10分の1以下の遅さで、時折、稲を倒しながら、進んでいる。彼は見かねて、小屋で 待っている様に言った。私は、不服だったが、それに従い、小屋に戻り、茣蓙の上で乾燥している、刈りたての稲を見守った。  

太陽が真上に来たかなと思うのも束の間、彼が沢山の稲を背負子に入れて、小屋に戻ってきた。その背負子は、高さ1.5m位で直径40cmのほどの籠状の物で、稲が溢れるばかり詰め込まれていた。それを一気に、茣蓙の上に広げ、ならしていった。休む間もなく、私が見守っていた茣蓙にある乾燥した稲の上に立って、足で踏みつけながら、籾を穂先から取っている。彼の足は、細かい擦傷が一杯付いている。そして、箕(み)ですくい上げて篩いながら、穂先や屑を風に飛ばしていく。最後に、残った籾を見せてくれた。一連の動きに関心ししていた私に、「やってみるか」と笑いながら尋ねてきたが、彼は、私の答えを聞く前に、箕(み)の籾を麻袋に入れ、次の作業を始めていた。その一連の動きの隙間に何も差し込める余地が無いほど、無駄な動きを省いていた。  

麻袋が満杯になった所で、ふた握りほどの籾を、長方形の臼(うす)に入れて、軽くつきだした。少しつくと、箕(み)に入れて振り、籾殻を風に飛ばしていった。きらきらと光ながら落ちていく籾殻を見ながら、物思いに耽っていると、目の前に白い米だけ残った箕(み)が現れた。彼は、そのお米を手ですくって、黒ずんだ鉄鍋の中に入れて、小屋の裏へ降りて行った。そこには、澄んだ小川があり、彼はお米を洗い出した。そして、その川原で、火を起こして、ご飯を炊いた。日本では、美味しいご飯を炊くには、蓋を開けてはいけないという教えがあるが、イバン族の人は、何度も、蓋を開けては混ぜる。電子炊飯器でも同じことをやるので、驚きだ。ご飯を炊いている間に、彼は、その小川の一番深い所に、波をたてずに、そっと進んで行った。そして、一瞬潜ったかと思うと、2m位ある1本の竹をゆっくりと持ち上げた。竹の彼側の口は、水中で彼の手で塞がれており、もう一方の口を私の目の前に翳し、何かいるか聞いてきた。その中を見ると、何か動いているものがいる。私が「何かいるけど、何か分からない」と言うと、彼は、そのまま、私側の竹の口を、川原の地面につけて、竹を揺さぶった。水が流れ出すと共に、鯰や川海老が出てきて、飛び跳ねた。川に逃げられない様に、すかさず、2人で獲物を集め、その場で作った竹串に刺して焼いた。さらに、彼は、川沿いの羊歯の仲間の山菜の若芽を摘み取って、小さな竹筒を作り、その中に入れて茹でた。ご飯が炊き上がった頃には、その辺で採れたおかずも出来上がり、その辺で取って来た大きな葉を皿代わりに、食べた。不器用にご飯を手で食べている私に見かねて、彼は、竹で箸を作ってくれた。彼は、器用に手で食べていた。食べ終わると、山菜を茹でた竹筒や葉を、焚き火の中に捨てて、唯一の人工物である鉄鍋を、スポンジ代わりの葉っぱで綺麗に洗って、小屋へ戻った。  

午後の日が高い内は、午前中に刈った稲を乾燥させるのに集中した。これは、私でも出来る作業だが、乾くとすぐに足でほぐして、籾だけを取り、麻袋へいれていくという難易度の高い作業が続くので、殆ど彼任せの状態だったが・・・。大分日が傾きだし、少し涼しくなったら、又、彼は収穫に出かけた。私は無用なので、小屋で鳥が来ない様に見張り番という事で彼に指示され、小屋で留守番をする羽目になった。といっても、私が茣蓙の傍にいる限り、鳥なんか来る訳も無く、来てもトンボ位なので、日向ぼっこをしているだけだった。途中、イノシシが陸稲の方に現れて、稲を薙倒しそうになったのを、石を投げ付けて、阻止したのは、唯一の収穫だったかもしれない。そして、この情報が、ウォルターの野心を奮い立たせる要因になるだろうことは、知る由も無かった。大分暗くなって、西側の丘が赤らみ始めた時に、やっと彼は帰って来たが、小屋に着いて、背負子を降ろして一服している彼が、空を指差した。見上げると、数頭のサイチョウ(ホーンビル)が飛んでいた。遠目だったが、中々見る事が出来ない野生のサイチョウを見たのは、この時が初めてだった。夕焼けの空に、微かな三日月が姿を出し、その前をゆっくりと壮大にサイチョウの影が悠々と横切る。十字架の様に・・。イバン族の神に喩えられるのも頷ける程神秘的な姿であった。サイチョウが過ぎ去った空を眺めていると、背後が明るくなった。彼が、ランタンをつけたのだった。彼は、いつの間にか準備したお米を入れた鉄鍋を私に渡して、洗ってくる様に言った。私が戻った頃には、彼は、小屋の中に設置してある囲炉裏に火をおこしていた。そして、これもいつの間にか採ってきた、山菜やタニシ、海老、小魚を、いつの間にか取って来た竹筒に入れ、火にくべていた。私が洗ったお米の入った鉄鍋もその横に並び、今晩の食事の準備が整った。  

食事が出来上がるのを待っている間、彼は、小屋の奥に置いていた酒を持ってきて、満面の星空の下で、酒を飲んだ。イバン族の伝統的な酒は、3種類あって、最も一般的なのは、「トゥア」と呼ばれる、お米から作られる濁酒の様なもので、少し甘い梅酒の様な感じの酒である。すごく丁寧に作られたトゥアは、アルコール度の低いワインの様な感じにもなる。簡単に作れるので、イバン族の人であれば、誰でも作れるのだが、逆に、その作り手の性格がもろに出る。大雑把な性格の人が作ると、酸っぱかったり、甘すぎたりで、飲めたものではないが、一方で、几帳面な人は、絶妙な、程よい味を出す。今では、市販で“ROYALIST”という銘柄のワイン・ボトルに入れられた「トゥア」もあり、非常に口当たりが良く、街でも買えるので便利だが、私が忘れられない味は、ヒルトン・バタン・アイ・ロングハウス・リゾートというヒルトン系のロングハウスをモチーフにした リゾート・ホテルで奢ってもらった「トゥア」と、ラマナ川のケシット村の笑顔の素敵なお母さんの作る「トゥア」は、忘れられない味だ。   

 次は、「ランカウ」と呼ばれる、これもお米が原料だが、蒸留したもので、非常にアルコール度の高い焼酎の様なものである。「ランカウ」は、現在、密造酒扱いになるので、あまり作っている人がいなく、「ランカウ」に似た市販の酒が、中国語で「白米酒」と書かれた酒が一般的に常用される。いろいろ銘柄があって、“ルーマ・パンジャイ”(ロングハウスと言う意味)、“クニャラン”(サイチョウと言う意味)というのが主流で、それぞれ人によって、これは良いだの、これは駄目だの、いろいろ意見が分かれる所だ。“ルーマ・パンジャイ”には、“Rumah Panjai”、“Rumah Panjang”、“LONGHOUSE”という3つの銘柄があって、3つともロングハウスと言う意味だが、それぞれイバン語、マレー語、英語と少し国際的だが、人によって、味が違うと言う人もいれば、全部同じ味だと言う人もいる。そもそも、「ランカウ」と言う言葉は、畑にある「出作り小屋」と言う意味で、「ランカウ」と言う酒は、「ランカウ」と言う小屋で作られていたからだ。人によって、アルコール度が異なるので、時折、喉が焼けきれる様なものもあるが、トゥアと異なり、酔う前に、腹が膨れて気持ち悪くなる事がないので、お祭りの時などは、かけつけ1杯は、トゥアで、残りは、ランカウで物事が進んでいく。因みに、日本で言う「かけつけ3杯」は、イバン語では、「チュチ・カキ」と表現され、「チュチ」が「洗う」、「カキ」が「足」で、「足を洗う」という表現がされる。何杯飲まされるかは、ホストの人間や周りの人の気分や気まぐれ、飲まされる人の性格等にも反映されるので、それぞれだが、アジア共通なのかやはり3杯が一般的だ。  

通常、酒宴は、円陣になって行われる。その円陣の内側に、つまみが並べられる。つまみと言っても、食事のおかずと同じ様な、豚の煮込み、野菜を炒めたもの、高菜浸け入り鶏肉スープ等だ。そして、ホストの家族の誰かが、「ドリバー」と呼ばれる役目をしないといけない。「ドリバー」とは、英語のDRIVER(運転手)から来ている言葉だが、お酒の舵取りをする役目だ。通常、ワン・ショット・グラスを使い、先ずは、そのグラスに酒を注ぎ、皆に見せ、ドリバーが飲む。そして、ドリバーは、同じグラスを使って、自分自身が飲んだのと同じ量の酒を注ぎ、円陣にいる老若男女、全員に、平等に、一人づつもてなしていく。多すぎても駄目、少なくても駄目、自分が飲んだ量と同じ量を注がないとドリバー失格だ。一周が終わり、全員分が終わると、又、最初の作法に戻り、次の周の酒の量を皆に見せ、又、もてなしていく。ここで、ドリバーの器量を左右するのは、1本の酒(大体750ml前後)を、平等に、全員に配る事を全うする事である。例えば、2週目の途中で、1本目の酒が終わり、2本目に入る事は、基本的には許されない事である。1本目の酒を、そこにいる全員に平等に分配して始めて、一人前のドリバーと呼ばれる。人数にもよるが、10名前後いるとして、1本の酒だと、その円陣を3~4周位しないといけない。又、嫌がる人を上手く捻じ伏せて、義務を全うさせるのも、器量の一つだ。でも、ドリバーが回ってきて、自分の順番が来た時に、ほとんどの客人が必ず本当に嫌な顔をするのが観察されるが、本当に嫌なのか、そういう儀礼なのか、今だもって分からない。嫌な顔した人も必ず飲み干すのは当然だが・・・。また、客人の中には、今まで黙っていたくせに、自分の順番が来ると突然、いろいろ難癖や、議論を始めて、その義務を遅らせる輩もいるので、うまくあしらう事も一端のドリバーだ。日本にもいる「俺の酒が飲めねえのか」親父ドリバーもいるが、目上の人を徹底的に敬うイバン族でも、酒の席では100%完全無礼講で、蔑みの結果につながっても、畏怖にはならないシビアな世界だ。因みに、ドリバーは、人数と比例し、円陣の人数が多ければ、その分ドリバーの数も増える。時折、自分の家でも、人の家でも、どこでも、ドリバーになっているプロ・ドリバーもいる。さらに、6月1日の収穫祭の時になると、これまた、このサイクルが、掛けることの、その村の家族数となるので、大変だ。一つの家族での酒宴の滞在時間は短くなるが、その村が30家族いるとすると、30回、同じ事を繰り返すので、24時間では足りない。非常に段取りがよく、次の酒宴の順番の家族の人は、早めに抜けて、準備をするので、酒宴ご一行様が次の家族へ移動する時には、次の家族の準備は既に整っていて、飲む側は休めない状態になっている。ロングハウスだと、家族と家族が隣り合わせなので、移動する時間も掛からず、体をひねるだけで次の酒宴地に行けるという楽といえば楽だが、飲み続けなければならないという短所もある。隣の村への訪問を考慮に入れると、通常、100時間以上続けられるが、実際は、途中で動けなくなって寝込んだり、途中で抜けたりした後、復活するとまた戻るというのが通常で、一気に通して参加する兵は、ごく限られた人のみだ。  

もう1種類の地酒が、「イジョ」と呼ばれるヤシ酒があり、イバン族の人が「イジョ」と呼ぶヤシの幹から取れる樹液に、ある樹木の樹皮を入れると発酵するらしいが、この酒だけは、サラワク中にあるイバン族の中でも、バタンアイやルボック・アントゥー近辺の限られたイバン族の村にしかないレアな酒だ。これは、カルピスの様な味がして、一飲、アルコールの殆ど入っていないカルピス・ハイかなという感じで、私はこれを飲んだ時、酔う前に吐き気がしたので、果たして、酒と呼んで良いのか物議を醸すところだ。吐き気がしそうになるから、酒と呼ぶのか、偶々、そこで飲まされた「イジョ」が問題あるのか、今も謎である。でも、その「イジョ」初体験は、収穫祭の時で、その村人が、次から次に、大きな壷に入れて運んで来る。その村人が、「イジョ」はどうやって作っているか見たいか聞くので、その荒れた酒盛りから逃げたい気分もあって、ロングハウスの裏庭に着いて行った。5m位の「イジュ」と呼ばれるヤシが何本かあって、その上の方の葉の付け根のあたりに壷が置いてある。そこまで上がる為に梯子も丁寧につけてあるので、登ってみると、V字型の薄い鉄板の様なものが幹に差し込んであって、樹液がそこを通って、壷に流れ込む仕組みになっている。仕組みというほどのものではなかったが・・。興味ついでに、その液を舐めると、カルピスの原液そのもので、冷たい水で溶かすと美味しいかなと思ったのだった。しかし、アルコール分が無いので、その人に聞いてみると、その原液に、樹皮をいれないと、酒にならないとの事。偶々、私が登ったヤシの隣のヤシの壷が満杯になった様で、村人が、それを担ぎ降ろして、何かの樹皮をその中に入れて、持って行った。それで、酒の出来上がりだそうだ。実際、その樹皮が醗酵を促すのか、時間がたつと醗酵が促されるのか、それを確認する前に、酔っ払ってしまった私だった。今も謎である。 いつも、その謎が解ける前に、泥酔させられてしまうので、いつも、謎を解くことが出来ない。

さて、その時は、ドリバーも必要なく、ウォルターと寛いで、ちょっと英語表記の洒落た“LONGHOUSE”の食前酒を飲みながら、グルメな食事が出来上がるまで、雑談をしていたのだが、途中で、1km位離れた位置で畑仕事している、クリス夫婦も合流していた。今日は、一緒に食事をする事になっていたそうだ。村のロングハウスであれば、隣近所で行ったり着たりで、非常に賑やかだが、農作地は、それぞれの出作り小屋が離れているし、それぞれが何時もいるという訳でもなく、収穫の時期は、こちらにいる人が比較的多いが、非常にさびしい環境だ。今日は、というよりも、何時も一緒に食事を取っているようだった。ご飯もおかずも出来上がって、さあ食事という段階で、その夫婦は、突然、煤けた鉄鍋に入った、自分の小屋で炊いてきたご飯を出し、自分のお皿に盛った。“マイ・ライス”の登場だ。イバン族の人にとって、お米は非常に重要なもので、狩猟などの獲物は全村で平等分配するのが慣わしだが、お米だけは、貸し借りというのがある位、シビアなものである。以前、ロングハウスで、村の人を招待して、ある家族の部屋で食事する事になった。その時、私も同席したのだが、呼ばれた人が全員、これも煤けた鉄鍋を持ってきた。そして、食事が始まると、それぞれの鉄鍋から自分で炊いたご飯をお皿に盛って、食べた時には、本当に驚いた。おかずはホストの家族が用意し、お皿はその家のものを使っていた。しかし、ご飯だけは、自分で炊いたものを食べる。イバン族の食事作法の一つを学んだ瞬間だった。と言っても、ご飯が余っている人は、その他の人に勧めたりするのだが・・・。いずれにせよ、お呼ばれした時には、自分のお米は炊いて持って行くのが基本であるのは、イバン族の村では、鉄則だ。イバン族の人は、どんな事があっても、1日に3回ご飯を食べる。どんな山奥でも、畑でも、クチンの街中でも、クアラルンプールの大都会でも、絶対に3回ご飯を食べる。日本人の人には、当たり前に聞こえるかもしれないが、イバン族の人は、もっと食べる。  

る日、イバン族のロングハウスで、朝起きると、ビスケットとコーヒーが用意してあり、二日酔いには丁度よい軽い食事だと思っていた。その日は、奥地へ行く予定だったので、しっかり目にビスケットを食べて備えたのが失敗だった。トイレに行って戻ってくると、「ご飯」の朝食がさらにしっかりと用意されていたのだ。その村人もビスケット食べた筈なのに、その完璧な朝食の前に座って、私を待っていた。そして、「マカイ」(食べるのイバン語)の発声の後、食事を始めた。私は、どうするべきか迷ったか、その中の一人に手を引っ張られ、大盛りのご飯を食べる羽目になってしまった。その日は、村人は、昼もしっかりご飯を食べていたが、私は、一粒のご飯を口に持っていって(食事を断わる時の礼儀作法--食事を勧められて、無碍に断わると、ワニに食われて死んでしまうらしい)、丁重に断わった。ある人の息子は、幼稚園のパーティーで、ご飯が出なくて、焼ビーフンしかなくて、一食分ご飯が食べれなくて泣いたという子供もいるそうで、いろいろ聞いていると、「マカイ」(食べる)と言う言葉、「ニロップ」(飲む)という言葉があるが、「マカイ」は、ご飯を伴うちゃんとした食事で、1日3回食べないといけない。「ニロップ」は、言葉上では、酒を飲んだり、お茶を飲んだり、飲む事だが、先の朝食前のビスケットや、幼稚園のパーティーの焼ビーフンなどの麺類は、どうも、広義の「ニロップ」に入る様な気がする。最近では、残念ながら、街中の若い世代のイバン族は、その感覚がなくなりつつある様だが・・・。  

その遠い隣人の夫婦の“マイ・ライス”の登場で、我々の晩餐が始まった。グルメな山菜や山魚のおかずに、豚の角煮の缶詰が加わり、デザートは、木の上で熟したパパイヤを目の前で採って、川で冷やしたもの。満天の星空の下で、楽しい時間を過ごして、明日の収穫に備えるつもりだった。しかし、つい、昼間の出来事を話してしまった事から、楽しい寛いだ一時の幕が閉じたのだった。つい、「そういえば、さっき、イノシシがいたから追い払った」という話をしたら、彼の目つきが急に変わって、何かを思い出したかの様に部屋に入り、銃の準備をしだした。彼は、銃の手入れをしながら、今の時期は、イノシシが多く、更に好条件な事に、例年に無くこの時期に果物が多いと語りだした。でも、稲を薙倒したりするから、迷惑だ。何となく、脈絡の無い言葉を呟いて、銃身を床に当て、安全装置を外し、“ Let's Rock”と意味不明の言葉を発し、私を一瞬見て、顎をふって、着いて来る様に促した。クリス夫婦は、何事も無かったように、そそくさと後片付けを終え、足元しか見えない懐中電灯を照らして、その小屋を後にした。そして、私にとって、悪夢の夜が始まるのであった。

~~~続く
「人生は苦痛であり、恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは、苦痛と恐怖を愛するからだ」(ドストエフスキー「悪霊」) ~~~~~ドリ鍋(2007年6月20日


 P.S. 明日自分が死ぬと分かった時、何を食べたいかって。きっと、それは、最も日常的な食べ物に違いない。日本人で言えば、味噌汁の様な・・。マレーシアで言えば、サンバル・ブラチャンの様な・・・。イバン族で言えば、間違っても絶対にご飯だ。宿題の「酒」と「ご飯」を一気に強引に纏めてほっとしてます。(ドリ鍋)

ドリ鍋の四方山話

ボルネオ島サラワク州

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第3回 謎の病気(?)「ラタ」 (2006年12月21日)
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第10回 イバン族の食文化(1)(2007年6月20日)     
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