第7回

とても高い木「タパン」と蜂蜜

★超高木「タパン」の謎と、熱帯雨林の何百種類の花の蜜からできた蜂蜜を売るおっさん

10年程前、所用で木材伐採地へ行く為、林道を4輪駆動のピックアップの荷台に乗って、猛スピードで走っていた。ヘタに車を停めたりスピードを落とすと、抜かるんだ道から滑り落ちるからという運転手の注意を受け、ジェット・コースター並のスピードで走りながら、ヒゲイノシシが道を横切り、マレーグマが道沿いに顔を出し、ホーンビル(サイチョウ)が頭上を羽ばたくのを横目に、あたり一面手付かずの森を眺めていた。

 そんな熱帯雨林の森に、必ず、目に付く白い木がある。他の木々よりも群を抜いて高い白い幹の木は、ボルネオ島の熱帯雨林の混交フタバガキ林を訪れた事のある人であれば、意識的にでも、無意識にでも、気が付いている筈だ。それだけ存在感のある木だ。その木は、現地名で「タパン(Koompasia excelsa)」と呼ばれる木で、始めてその木を見た時に、私は「電信柱」の木と名づけたが、それを横目で見ていた同行者のW氏は、「鍋ちゃんは、文学的才能がないね。この木を例えるならば、“すらりとした女性の脹脛”だね」と。確かに。その木は、しなやかな美しい色白の脹脛の様な姿だった。

この木は、ボルネオ島の中では1、2を争う高さになる木で、サラワク州の保護樹木に指定されている。同行していた森林局の現地スタッフにその理由を聞いた。彼いわく、「オオミツバチがこの木の樹冠に巣をつくるからだ」と。しかし、ハチが巣をつくるからと言って、何故この木を伐ってはいけないのだろうと、意味を探っている私に気付いた彼は説明を始めた。熱帯雨林を上空から俯瞰で撮った写真を見たことのある人は分かると思うが、沢山のブロッコリが一面にある様に見える。この部分を林冠と呼ぶ。その林冠部から、白い高い木が適度な間隔で突き出しており、これが、超高木(突出木)と呼ばれる木々で、この「タパン」もその一つだ。

 熱帯雨林の木々は、沢山の種類があって、とあるサラワクの研究林では、50haに1000種類以上の樹木があるそうだ。そして、それぞれの木々は、日本の温帯の樹木と異なり、毎年花を咲かせるものだけではない。中には、数年、十数年に1回しか花を咲かせないものもあるそうだ。熱帯の季節のサイクルは、雨季と乾季の単純な季節で分ける事の出来ない複雑なサイクルがある様だ。

 ここで、仮に、この林冠を突き出る超高木が存在しないとすると、林冠部の樹木が開花した際に、その受粉の一部を担っているオオミツバチは、その巣を林冠部に作らざるをえない。その場合は、オオミツバチの拠点と林冠部が、同じ高さになってしまう。実際は、超高木があるので、そこにオオミツバチが巣を作ると、林冠部よりも高い位置にあるので、林冠部の樹木の咲いた花々をより効率的に探し出す事が出来、 受粉が行われるそうだ。その為、もし、「タパン」を代表とする超高木がなくなると、林冠部の樹木の受粉の効率が悪くなり、当然結実の頻度が少なくなり、結果として、森林の更新に影響を与える事になるのだそうだ。だから、「タパン」の木は、保護樹木に指定されているのだ。

 私は、この「女性の脹脛」の様なタパンの木とオオミツバチが、自然のシステムの中で重要な位置を占める事を感心して聞きながら、一方で、未だに解明していない事象が山ほどあり、もしかしたら、人間が解明する事も無く、その意図を気づかれる事すらなく、絶滅する種もあるかと思うと、自然の刹那を複雑な心境で感じ取るしか術がなかった。

 その後、数年がたったある日。イバン族の収穫祭(ガワイ・ダヤク)を訪れる為に、ロングハウスに行った。そこで、地酒の「トゥア」や「ランカウ」等を散々飲まされて酩酊状態であった。通常、ロングハウスでの宴会は、長い通廊で村中総出で行われるのだが、私は酔いを醒ますために闇夜の外気に触れたくて、通廊の出口のベランダの近くで、夜風にあたってウトウトとしていた。宴会は、意識の遥か彼方で行われているような感じだったが、ある時、村人の声が低くなり、逆に、そのひそひそ話が私の目を覚ませたた。彼らの声が低く聞き取りづらいのだが、人の名前や「死んだ」と言う言葉や「タパン」と言う単語がかすかに聞き取れ、特に「タパン」と言う言葉が頻繁に出てくるので、このタパンの木のことを話しているのは明らかだったが、その詳しい内容まではよく分からなかった。

闘鶏用の軍鶏が突然金切り声をあげたのをきっかけに、宴会は、もとの勢いを戻し、人々の大きな声で溢れ出し、私も目が覚めたので、その車座に加わる事にした。そこで、その中でも私の事をいつも良くしてくれる「チグ」氏(チグとは本名でなく、マレーシア語で先生という意味だが、この人は先生でもなんでもないのだが、先生みたいに説教が多いので、先生、先生と呼ばれているが、気分的には、「先公」って感じで、蔑んだ言い方されている)に、さっき何の話をしていたのか聞いてみた。

 チグ氏曰く、「タパンという白い木は知っているか?あの木は、本当は怖い木だよ。僕が小さい頃、ロングハウスの裏山の森にある大きなタパンの木を伐ろうとした人々が、次々に死んだんだ。7人も死んだんだ。それも全員力持ちの元気な人達だったんだ。その時の話をみんなでしてたんだ。ちょうど、今日は、最後の7番目に死んだ人の命日だから。最初の数人は、木を伐ろうとした瞬間、パラン(蛮刀)が木に当る直前に突然倒れて即死、他の人は、雷に当ったり、行く途中で川に溺れたり、で結局、その木は伐れなくて、今もあるんだけど、誰も近寄らないんだ」と。そこまで、聞いて、私は、一気に酔いが醒めてしまった。

チグ氏がさらに続けた。「それだけでないよ。あのグモ叔母は、タパンの前を通っただけで、病気になって、ずっと寝込んでたんだ。この村の祈祷師でも近くの病院でも治せないんで、あの山の向こうのインドネシアから有名な霊媒師を呼んできて、治してもらったんだ。その霊媒師の事は、誰かが知っていたのではなく、この村の祈祷師が夢を見たんだって。そういう霊媒師がいるから、探せって言うお告げの夢。探したら本当にいて、お金払って連れて来たんだって。グモ叔母が言うには、タパンの前を通ったら、誰かが、肩を叩いた様な気がしたんだって。でも、その時は、一人だったから、おかしいなって思ったんだって。でも、普通、女一人で森に行くのはやめた方が良いよな、普通。あの叔母さんは体がデカイからな、大丈夫だと思ったんだよ、きっと。でもタパンには負けちゃったんだね。その後、すごい熱で何日も寝込んだんだから。頭に水かけたら沸騰してたからね」と言って、笑っていた。その時、車座の私を挟んで反対側に座っていたデビット叔父(糖尿の為に親指を切られた人なんですけど)が、真顔だが少し呂律が怪しいのはご愛嬌で、「タパンは、怖いよ、本当に。ナベもタパンの近くに行く時は、気をつけな。タパンは、森の中でも強い力を持つ精霊が宿ると言われるからね。この樹冠に付く蜂の巣はおいしんだけど、この巣をとるのは命掛けだけど、この木に付く悪い虫を取ってあげるんだから、多分許されるのかな」と言って、黙り込んだ。

このタパンの木は、50~60m位の高さになり、真っ直ぐな幹の30~40mほどの高さ位までは、枝が無いので、蜂の巣のある枝先まで辿りつくのは困難だし、オオミツバチは、結構刺されると痛いので、蜂蜜採りは大変だ。木を登るのは幾つか方法があって、代表的なのは、木をなめして作った紐を幹にかけて、それを少しづつ上へずらしながら登っていく方法。別の方法は、20cm位の竹串を沢山作って、幹にそって垂直に等間隔(20cm間隔)で打ち付け、その竹串の木とは反対側に長い竹を打ち込み安定させ、梯子みたいなのを作って、登っていく方法だ。樹冠でオオミツバチの巣を取る方法は、煙で燻して、蜂がある程度いなくなったら、下に落とす。通常、夜採集するようだ。当然、オオミツバチに刺されるので、当分は、横になるのも大変だ。でも、この蜂蜜は本当に美味しい。何百種類という熱帯雨林の林冠の樹木の蜜を吸っているからね、栽培のものとは遥かに違う。

通常、普通の店では売っていないが・・・。屋台等で、時折、怪しげなおっさんが、瓶詰めにして売っているが、いつも、同じ屋台に出没するとは限らないのが難点だ。巣の写真とか、ハチに刺された写真なんかを見せて、本当に自分が大変な思いをして採ったという事をアピールしながら、売っている。でも、その写真は、どう見てもその人では無いのですが、それを突っ込むと、蜂に刺されて、顔が腫れていたから今の顔と違うとか、適当な事をいうので、さらに怪しい。

このタパンの木から採れる蜂蜜で、純度が高いのは、透き通った色はしていない。実際は、このタパンに付くオオミツバチの巣から取れる蜂蜜は、少しばかり黒ずんでいる。怪しげなおっさんが売るのは、瓶だけはどうも統一規格で赤いプラスチックの蓋なんですが、いろいろな色味のものがあって、結構透き通った色のものがあるので、注意しないといけない。透き通っているのは、サトウキビの汁が混ぜられていますので、純度が非常に低い。もし、運良く、この蜂蜜売りの怪しいおっさんに会うことが出来たら、絶対に、黒っぽい色の、瓶を逆さにしても、液体が微々とも動かないものをご購入する事をお勧めします。この前、偶然会ったら、純度の高いのが、1本(750ml位だと思います)RM35と言っていたが、値段は人によって異なるので、交渉次第だ。

タパンという木は、本当に、奥の深い樹だ。熱帯雨林の生態系の中でも重要な位置を占める一方で、先住民族の中では、聖なる樹として畏怖されている。その「聖なる樹」という意味では、私はその一部分しか知りませんので、もっと調べる必要があるが・・。もし、これをお読みになった方で、ボルネオ島に来られる機会がありましたら、少なくとも殆どの国立公園で、注意すれば見ることが出来る樹で、公園内のトレッキング中には見ることが出来なくても、その国立公園へ向かう途中の遠目から森を見ると、この白い木が見える場合もあります。もし、来た事がある人でこの木の事を見た事が無い人も、そのボルネオ島滞在中に撮った写真かビデオをもう一度見直してみて下さい。もしかしたら、写真の背景にこの白い木肌の樹を見ることが出来るかもしれません。

 私もいろんな場所で、沢山のこの樹を見てきました。遠めに見える森にあったり、小さい飛行機で低空で飛ぶ時に眼下に広がるジャングルに点々と見えたり、森の中を歩いている時に偶然出会ったり、山頂から望む麓のジャングルに見えたり、森を見ると必ずと言って良いほど存在感を主張する樹です。この樹は街中でも見る事が出来ます。クチン・ウォーターフロントから望むアスタナ(王宮)の川岸に聳え立つタパン。

 そして、私がいつも気になっているのは、クチンからボルネオ・ハイウェイで、スリアンという小さな街を抜けた後にある道路沿いの村の傍に、この高い白いタパンの木は、1本だけポツンと荘厳に残っている。この木があると言うことは、随分前は、このあたりも深い森だったんだろう、そんな憂愁の感を思いに、いつもその道を通っていく。

「人は仰いで鳥を見るとき その背景の空を見落さないであろうか」(三好達治「鳥鶏」) ~~~ドリ鍋 (2007年2月10日)


PS. 「森の掟」を書く為に、タパンの話を導入として使ったのが失敗でした。タパンの話が長すぎて、「森の掟」は次回です。

ドリ鍋の四方山話

ボルネオ島サラワク州

第1回 ボルネオ島の白人王国「サラワク」(2006年12月10日) 
・・・100年間続いた英国人ブルック家の所有した謎の王国(1841年~1941年)
第2回 フルーツの王様「ドリアン」 (2006年12月17日)   
・・・「ドリアンを食べる為だけでも、ボルネオ島に来る価値がある」 (アルフレッド・ウォーレス)
第3回 謎の病気(?)「ラタ」 (2006年12月21日)
・・・パイナップルボンバー洋平のトラウマを起こした病気に迫る  
第4回 世界遺産のムル国立公園(2006年12月25日)
・・・秘境のリゾート、巨大洞窟とコウモリ達 、そして、アントゥー
  第5回 マレーシア・バイアグラ「トンカタリ」(2007年1月10日)   
・・・元気が出ます。むくみが取れます。社長の深夜の結果報告もありました。 
第6回 クチンの屋台事情「ラクサ」「コロミー」「経済飯」(2007年1月16日)   
 ・・・我々は、洒落たカフェで昼食は取れません。間違っても、屋台です。 
★特別企画!! サラワク王国時代の国歌 (2007年2月2日)   
・・・2代目白人王チャールズの妻、マーガレット・ブルック作曲によるサラワク王国国歌の音源化。
第7回 とても高い木「タパン」と蜂蜜(2007年2月10日)     
・・・超高木「タパン」の謎、そして、熱帯雨林の何百種類の花の蜜からできた蜂蜜を売る謎のおっさん
 第8回 ボルネオ島熱帯雨林での「森の掟」(2007年2月10日)     
・・・サラワク先住民族イバン族の森の掟と、受け継がれる知恵 
 第9回 イバン族の夢占い(2007年2月26日)     
・・・イバン族のシャーマンの解く、語り継がれる夢の意味の片鱗。
第10回 イバン族の食文化(1)(2007年6月20日)     
・・・サラワク先住民族のイバン族の一番大切なもの、それは・・・。
 第11回 イバン族の食文化(2)(2007年6月23日)     
・・・サラワク先住民族のイバン族の男達の一番大好きなもの、それは・・・。

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